【結喜の性質・特性について】



 

● まずはじめにお断りしておきますが、私は決して立派な人間ではありません。むしろ褒められるような、羨ましがれるような経歴は 何一つとして持ち合わせていません。

 

 私は幼少期から20代後半までの間、普通の人が経験しないような出来事を数多く経験をしてきました。虐待やいじめ、実家が寺院で霊障の影響が非常に出やすい環境だったことや、生まれ持った強い霊感が仇となり、私の前半の人生はまるで生き地獄のような状態でした。また幼少期から自分の性に対する違和感と葛藤で悩み、成人後は私の長男が発達障害(自閉症スペクトラム)、そして私自身も長男と同じく発達障害(ADHD・ADD/不注意欠陥優勢)だという事が判明し絶望的になりました。この時代を振り返ると、「生まれてきて良かった」と思ったことはただの一度もありません。もし一つだけ願いが 叶うとすれば、きっと私は「早くこの世を去りたい。」と言ったはずでしょう。

 


「私はダメ人間。生きてても価値がない人間。」

 

 私は生まれる前からすでに「生と死」が隣り合わせの環境の中で生きてきました。

 

 私はどうやらその土地の人間からすれば、非常に異端児だったようで周りの人間からいつも「人より劣っていてダメ人間だ。」と言われ続けてきました。このような環境の中、私は一人でもいいから誰かに認められたくて、自分なりに必死に努力し、人の何倍も頑張りました。ですが人の何倍頑張ろうが、何年努力しようが、結果はまったく現れませんでした。私は努力や根性では何も解決できないことを悟り、私は自分の人生を放棄しました。

 

 私は「こんなに努力してても無駄なんだ。生きてても意味はない。」と思い、8歳の頃から自傷行為と自殺未遂を繰り返すようになり、今までに何十回も自分の命を絶とうとしてきました。この現象にはいくつかの原因がありますが、私は生まれ持った霊感や感受性の強さのために俗にいう霊障といわれるものを引き寄せたり、前世・血縁・土地の因縁の影響、さらには巫病(霊媒としての通過儀礼)などによって起こっていたようです。

 

 しかし、これは根本的な原因ではありません。私は数十年の苦労の末、ようやく気付いたのです。私の幼少期の自傷行為・自殺未遂の最大の原因は「自分がどういった人間か?」「どのような人間関係と環境の中にいたか?」を知らなかったからなのです。

 

  1. 自分の特性や向き・不向き、発達障害であることを知らなかった。
  2. いつも否定されていて、自己肯定感と自己重要感が完全に崩壊していた。
  3. 親や兄弟など、自分が関わる人間関係や環境によって自分が洗脳させれていることを知らなかった。
  4. 脳の癖や特性を知らず、習慣や行動を変えることができなかった。

 

 私はこういったことが根本的な原因であることに気付かず、今まで生きてきたのです。

 

 「私はダメ人間」だと思っていたからこそ、何万冊もの本を読み、比較・分析・検証し、実践して自分なりの答えを出し、それをさらに工夫しながら改良・改善してきました。「ダメ人間」が結果を出せれば、きっとダメだと思っている人たちの力になれるのではないか、さらには「発達障害者にでも出来た」のであれば、普通の人たちはもっと出来るようになるのではないか?と考えるようになりました。

 

 上手くいかないのは「才能がない」わけじゃない、「努力が足りない」わけじゃない。意思と実行力と知識とテクニックなんだ!!!私はそれに気づき、実践し、徐々に自分の思うような結果を出せるようになっていきました。

 

 
私は今でも生きています。  

 

 

  本来だったらここにいるはずのない私がこうやって皆様と出会えたこと自体が私にとっては奇跡なのです。本来ならば出会うはずのなかった人間同士が出会えたこの奇跡。
 
  私は普通の人が経験できないことをたくさん経験しました。経験者、当事者じゃなければ伝える事ができないこと、共感することが できないこともあるでしょう。だからこそ私は今与えられているこの命とこの瞬間を大切にし、このような私でも私なりに伝えられること、教えられることを皆 さんに伝えていきたいと思っています。私の存在や経験が多少なりとも誰かの慰めであったり、役に立てれば本当に幸いです。

 


結喜の名の通りに皆様と共に

 

幸せと豊かさと喜びを結び合えますように。


皆様とのご縁に心から感謝します。

 

 


大丈夫、あなたはひとりなんかじゃないよ。


 

 私の人生も状況や環境は違えども上記のビデオと同じような心境でした。

 

 「すべての答えは自分の心の中にある。」とスピリチュアル等では盛んに言われています。

 

 生きている限り人生の中で様々な問題やトラブルが起こってきます。その問題やトラブルに対して最終的にどう対処し、決断するかはあなた自身です。

 

 その様々な問題やトラブルを解決するには、時には一人になってじっくり自分と向き合う時間も必要でしょう。しかし、あなたが本当に心から辛くて苦しい時ほど誰かの支えや助けが必要なのです。

 

 心の支えや助けが必要というのは逃げでも負けでもありません。

 

 もし、あなたがその繋がりや心の支えや助けを持てるような方がいないのであれば、よければ私が少しでもあなたの心の支えや助けとしてお役に立てないでしょうか?

 

 私は自分が一番苦しんだ時期に誰一人としてその心の支えや助けがありませんでした。それはとても辛く悲しく、自分の人生を放棄するきっかけにもなったのです。

 

 あなたは一人じゃありません。

 

 そう・・・。一人じゃないんです。だから一人で悩み苦しまないでください。

 

 その辛さや苦しみを誰かと分かち合うことができれば今の心の苦しみは軽減され、希望を明日へと繋げていくことが出来るのですから。

 

 希望さえ持つことができれば未来は必ず「このために私は生きていたんだ。生きていて本当によかった。諦めなくてよかった。」と思える日がくるのですから・・・・。

 


【結喜の乳幼児期・学童期】

【出生】

・ 出生。実家は数百年の歴史を持つ由緒ある寺院で、代々僧侶・祈祷師・霊能者・霊媒師の家系。

 

・ 出生前から、父が懇意にしていた霊能者から「産まれてくる子供は不具の子だ。」と宣言される。母の子宮系の病気により生まれて来る確立は50%だった。

 


【乳幼児期】

・ 劣悪な家庭環境の中で、幼少期から祖父から肉体的・精神的な虐待を受け続けてきた。実家が寺院だったため、毎日のように人の生死を見続け、物心がつく3〜4歳頃から「なんのために人は生きるのか?」「なぜ人は死ぬのか?」「死んだらどうなるのか?」ということをずっと考えていた。

 

・ 協調性がなく、頑固。多動でじっとしていることが出来ない性質だったため、常にトラブルメーカーだったようだ。人との距離感や付き合い方がわからなくて、いつも人間関係で苦労していた。(ADHDやADDの症状が出ていた。)

 

【学童期】

・ 家では家庭内暴力、学校では虐め(保育園〜小学生の高学年まで)に遭い、自分の居場所がまったくなかった。このような環境の中で育ったため8歳の頃には感情と思考の感覚が麻痺し、自分の存在に価値を見いだせなくなる。このため、8歳の頃から自傷行為自殺未遂が常習化する。精神的苦痛、肉体的苦痛毎日が生き地獄だった。

 

・ 年を取るごとに女であることに対しての嫌悪感が日ごとに強まり、いつしか本気で男性になりたいと性転換を真剣に考え始める。(性同一性障害)

 

・ 10歳の頃からタロットやダウジング、姓名判断などの様々な占いを独学で勉強し、実占し始める。

 


【青年前期・青年中期・青年後期】

【青年前期】

・ 家庭内暴力や虐めは徐々に治まっていくが、12歳で父が他界。もともと苦手だった人付き合いが、父の死をきっかけにさらに苦手になっていった。完全に自分の殻に閉じこもり、一般的な人が考える思春期らしい思春期を送らず、毎日読書三昧に明け暮れる。(1日最低2冊、多いときは5冊以上の本を読んでいた。

 

【青年中期】

・ 何を血迷ったか最も苦手とする女性ばかりの女子高校、女子短大に進学。

 

【青年後期】

・ この時期が一番苦労した。この頃から幼少期から続いていた幻聴がピークに達する。あまりの辛さに自分で気が狂ったと思い、ついに自ら精神科に赴く。当然の事ながら精神科に行けば何かしらの病名をつけられてしまうわけだが、精神科では「統合失調症」「躁鬱病」「パニック障害」「解離性障害」等の様々な病名をつけられ、今では考えられないぐらいの大量の薬を処方される。

 

・ 3年間精神科に通っても一向に良くならず、最後には薬の副作用によって歩行すら困難な廃人同然の状況になる。結果的には精神科に通っても何の解決もしなかったし、これ以上薬を摂取すると命の危険性さえあることを悟り、これを機に精神科通いを止める。

 

※ 成人後にわかったことだが、これは「霊媒」(シャーマン)になるための通過儀礼「巫病」であった。

 

【霊媒(シャーマン)の通過儀礼「巫病」】


【成人前期】

【成人前期】

・ 対人恐怖症がひどくなり、生きている人間よりも、誰にも見えず、誰にも聞こえず、誰にも存在を気付いてもらえない放置されている未成仏霊・無縁仏達のために少しでも役に立ちたい(供養・成仏)と思い、実家に縁のある宗派で得度し、尼僧の資格を得る。

 

 

・ 得度した年に結婚。翌年長男を出産。出産直後、夫の不倫により毎日が修羅場となる。夫の不倫相手とも数回直談判したが、最後には夫に絞殺されそうになり結婚して1年で離婚。長男はまだ生後3ヶ月だった。

 

 

・ 離婚後、長男を連れて実家に戻るが、職探しをしている最中に、霊能者のおじさんから「あんた、霊感が強いから占い師になりなさい。」と占い師にスカウトされる。このスカウトをきっかけに占い師になる。

 

・ 同じ占いの館に勤めていた同業者(占い師)の数人に総額数百万円を貸して、ほぼ全員が返済不能となって自己破産し、泣き寝入り状態になる。人を見る目がなかった自分も悪いのだが、金の切れ目が縁の切れ目ということを嫌というほど痛感させられる。

 

・ 再婚し、静岡県浜松市に長男と共に移転。

 

・ 嫁ぎ先の幼稚園で長男の多動性障害を指摘される。病院に行き検査をした結果、ADHD・ADD、アスペルガー症候群だと診断される。この診断により、実は私もADHD・ADD(発達障害)だったことが判明する。

 

 私は人並みの幸せすら得られないのかと絶望的になったが、悩んでも仕方がないし、悩んだところでこの特性が完治するわけではないのでこの事実を受け入れてこの日から私と長男のADHD・ADD、アスペルガー症候群(発達障害)対策の生活が始まる。

 

・ 再婚した翌年、次男出産。

 

・ 私と長男のADHD・ADDの性質により、夫の両親との同居がうまくいかず、別居することになる。

 

・ 年を取るごとに長男(発達障害児)と次男(健常児)との行動における発達の差がはっきりと比較できるようになる。

 

 

・ 夫と私の長男に対する教育方針の違いや、長男と私のADHD・ADDの性質等を含め、様々な要因から夫と離婚。お互いに有る程度納得した上で2011年に円満離婚。

 
・ 再度、シングルマザーとなり新しい人生を歩み始める。


【成人中期】


・ 2度目の離婚をきっかけに、今までの蓄積してきた知識・技術、様々な経験から生み出した「自分の運勢を自分の力でお金をかけずに開運(改運)するための方法・技法」「前世・現世、血縁における因縁解消方法」を独自開発。

 

・ 2012年4月。得度して10年が経過。様々な諸事情で得度資格を返上し、俗世に戻る。この10年で尼僧という立場でなくても、結果的にお祓い(浄霊)も出来るようになった。俗世に戻ったことで宗教等のしがらみを越えた視点で物事が見れるようになり、「俗世でしか出来ないこと。」「俗世でも出来ること。」の可能性が大きく広がった。

・ 2013年7月。昔の私のように同じように霊障等で苦しんでいる方々、精神病者や自殺者を一人でも減らしたいという理由から、静岡から東京にすべてを捨てて裸一貫で移転。

 

・ 2014年10月〜2015年7月末までに、47都道府県すべてに赴き、全国の戦没者、戦災・震災犠牲者の供養を行うことを決断。47都道府県/全国供養行脚をするために2014年10月、東京から九州に引っ越しする。引っ越し後は47都道府県全国供養行脚に専念するために鑑定を一時中断。

 

・ 2015年5月5日、47都道府県/全国供養行脚貫徹し全国制覇。予定より2ヶ月半早く全国供養行脚終了。

 

・ 2015年6月より、全国に拠点を設けて鑑定を本格的に再開する。